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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

小橋建太の思い出①素顔の小橋を見れたトークショー

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小橋建太の思い出①素顔の小橋を見れたトークショー

 小橋がNOAH時代に改名した建太から本名の健太に戻す意志を示したことを明らかにした。元に戻す理由は「リングネームのことは考えている。(「建」は)ノアを創るという意味だけど、その仕事は終わったから」、小橋は年内で契約が切れフリーとなることが決定していることから、小橋自身もNOAHでの役目を終えたという意味なのかもしれない、NOAHの小橋として贈れるのかと思っていたが、引退試合もすぐできるという状態でもない、仕方のないことなのかもしれないが、寂しさも感じてしまう。


 小橋の思い出の一つとすれば平成14年3月9日に新大阪で行われたトークショー、自分はこういったトークショーに参加することはないのだが仕事が休みだったのと、小橋という人間はどういう人なのかに興味を持って参加した。


 会場は新大阪だが新幹線を乗る以外めったに訪れない地域、車で向かうのに迷うのはと不安があったため地下鉄・御堂筋戦で向かったのを憶えている、地下鉄・新大阪駅を降りて地図を実ながらフェイム新大阪というビルに辿り着いたがトークショーといってもそんなに広い場所ではなく会議室といった感じの部屋だった。


 トークショーが始まったが当時の小橋は同年2月17日の武道館大会で膝の負傷から復帰していたが復帰戦で膝をまた負傷、左膝前十字靱帯不完全断裂(全治四ヶ月)で再び欠場していた。


 トークショーの内容は欠場していた1年間、入院していた間はギャンブル好きもあってtotoにハマっていたこと、復帰戦、一時的にモンチッチ風の髪型や金髪に染めた理由、金髪に染めた理由は本人が髪の毛を染めようかと考えていて美容師に任せてしまったら金髪になってしまったという、(復帰前に黒髪に戻した)


 そして小橋が結成していたユニットバーニングの話になると、同期である菊地毅の話題になり、その際には口調だけだが菊地のモノマネを披露、結婚の話題になると当時はやんわりと否定していた。


 トークショーは拍手の中で終わったが感想は熱血のイメージが強いけど天然ぽさも持っている、素の小橋は面白い人だと感じたトークショーだった。

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