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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

全日本を去った天龍を待ち受けていたのは“週刊プロレス”からのバッシングだった

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全日本を去った天龍を待ち受けていたのは“週刊プロレス”からのバッシングだった

 1990年4月、ジャンボ鶴田に敗れた天龍源一郎は全日本プロレスを退団し、メガネスーパーが設立した団体SWSへ移籍した。


 1989年の天龍は盟友である阿修羅・原が全日本を解雇されるも、6月にジャンボ鶴田を破って三冠統一ヘビー級王座を奪取し、またスタン・ハンセンとの“龍艦砲”で世界タッグ王座も奪取、そして前年の11月に師匠であるジャイアント馬場からもフォールを奪い、世界最強タッグにも優勝するなど、レスラーとしては充実した1年を迎えたはずだったが、1990年に入ってからマンネリからくる閉塞感を感じるようになり、マンネリを柴田惣一氏に指摘された天龍は天龍同盟を解散してしまった。


 そんな状況の中でメガネスーパーのエージェントになっていたケンドー・ナガサキからSWSへの移籍の勧誘を受ける、最初こそ天龍は返事を保留していたが、待遇面での不満も重なり、ジャンボ鶴田に敗れた天龍は全日本を退団したが待っていたのは全日本プロレスや天龍をプッシュしていた週刊プロレスからのバッシングだった。


 ジャイアント馬場から礼金を貰った当時の編集長だったターザン山本氏が当時バブル景気だったこともあって、SWSを『金権プロレス』と批判、天龍に対しても『金で動いた』など書きたて、円満で退団した天龍を全日本を裏切ったかのように書きたてた。

 
 更に全日本から選手・スタッフが次々と全日本から退団また退社する事態も起きた、全日本を退団する選手の中には天龍を慕って退団する選手もいれば、馬場への不満や、SWSでの待遇の良さに魅力を感じた選手もおり、この事態も週刊プロレスが天龍が勧誘したかのように書きたてたが、実際に天龍が勧誘したのは付き人だった折原昌夫だけだった。


 週刊プロレスからのバッシングが鳴り止まないうちにSWSが旗揚げするも、天龍が待っていたのか“SWS内”からのバッシングだった。

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