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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

“模倣”から始まった天龍源一郎

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“模倣”から始まった天龍源一郎


 天龍源一郎を始めてTVで見たのは昭和56年、自分がプロレスファンを始めたときだった。当時のTV中継は新日本プロレスの「ワールドプロレスリング」が金曜8時から放送していたのに対し、全日本プロレスの「全日本プロレス中継」は土曜日5時半からの放送、新日本がゴールデンタイムで見るプロレスなら、全日本プロレスは夕方から見るプロレスだった。


 対戦カードはジャイアント馬場、ジャンボ鶴田が保持するインターナショナルタッグ王座にビル・ロビンソンが天龍と組んで挑戦、自分はなぜ日本人が外国人と組むのかと不思議がっていた。


 ロビンソンのパートナーは当初ディック・スレーターが予定されていたが、スレーターが交通事故の後遺症が出て途中帰国してしまい、代役として当時まだ覚醒していなかった天龍に白羽の矢が立った。


 天龍はロビンソンのアドバイスを受けて、アントニオ猪木の必殺技である延髄斬りや卍固めを披露、自分はなぜ猪木の技を使うんだと思ったが、猪木の技を模倣したことにより、天龍はファンに大きなインパクトを与えた。


 試合には敗れたものの、天龍は全日本の第三の男としてもポジションを確保し“Mr.プロレス”への第一歩を示した。

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