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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

DOMINION7.5in大阪城ホールまであと3ヶ月・・・猪木vsブロディ、60分フルタイムの死闘

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DOMINION7.5in大阪城ホールまであと3ヶ月・・・猪木vsブロディ、60分フルタイムの死闘

 大阪城ホールで新日本プロレスを観戦したのは1986年9月16日、メインカードはアントニオ猪木vsブルーザー・ブロディ、新日本(藤波辰己、木村健悟、星野勘太郎、ジョージ高野)vsUWF(前田日明、藤原喜明、木戸修、高田伸彦、山崎一夫)5vs5イリミネーションマッチだった。


 長州力ら維新軍団をジャパンプロレスを通じて全日本に引き抜かれた新日本プロレスは巻き返しにブロディを引き抜いたが、プロモーターとトラブルを起こすブロディは新日本ではコントロール出来ず、昨年12月に開催された『IWGPタッグリーグ戦』を優勝決定戦進出を決めながらも新日本側とトラブルを起こして試合をボイコット、ブロディは新日本から追放され日本マットから締め出された、それと同時に団体としての活動が行き詰まったUWFが業務提携という形で新日本にUターン、新日本軍との抗争が勃発していた。
 そしてブロディと猪木が1986年8月のハワイで遭遇、ブロディの新日本復帰と猪木vsブロディが決定となったが、ブロディが再び新日本に接触したのは「IWGPタッグリーグ戦」で支払われなかったギャラの清算を求めての参戦だったという。

 

 これだけのカードを揃えながらも大阪城ホール大会はノーテレビ、このとき『ワールドプロレスリング』は金曜8時から月曜8時に移行することが決定し、また『ブロディがまたドタキャンするかもしれない』という事情も絡んでTV中継が組めなかったという。


 そして開場となったがパンフレットの対戦カード欄には猪木の対戦相手は空欄となっていた、この時は自分も事情を飲み込めていなかったが、ブロディはまた新日本側と揉めドタキャンする構えを見せていたという。


 猪木vsブロディは予定通り行われ、猪木が延髄斬りや卍固め、バックドロップと当時の全てを出し切ったがブロディを仕留めることが出来ず60分フルタイムのドロー(この試合は新日本プロレスワールドでも視聴できます)。


 イリミネーション戦は最後はIWGPジュニアヘビー級王座をかけて抗争していた越中と高田が残り、高田が越中を降してUWF軍が勝利となった。


 ブロディは3日後の福岡大会で藤波と対戦したが両者リングアウトのドロー、ブロディは11月に来日を予定し前田やアンドレ・ザ・ジャイアントとの対戦が決定していたが、、また新日本と揉めて追放、藤波戦が新日本でのラストマッチとなり、『ワールドプロレスリング』も福岡大会をもって金曜8時の枠から去った。


 そしてブロディが日本マットに復帰したのは1年後の全日本プロレスだったが、これはまた別の話である。

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