伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

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大仁田と渕がアジアタッグ挑戦へ・・・80年代に開催された全日本初のジュニアタッグリーグ

 10月15日新潟・三条大会で丸山敦&竹田誠志組からアジアタッグ王座を防衛した青木篤志&佐藤光留組が次期挑戦者に大仁田厚&渕正信組を指名した。


 大仁田と渕はハル薗田(故人)と共に若手三羽カラスと言われ、海外武者修行時代にもタッグを組んだ仲でもあるが、大仁田がインターナショナルジュニア王座を奪取して渕より先に帰国したのもあったが、共に日本へ帰国してからは本格的にタッグ組むことはなく、アジアタッグ王座にも縁がなかった。


 昭和59年8月~9月にかけて全日本プロレスは初めてのジュニアタッグリーグ戦である世界最強ジュニア・タッグ決定リーグ戦を開催した。


<出場チーム>
マイティ井上&グラン浜田
チャボ・ゲレロ&へクター・ゲレロ
フィッシュマン&ベビー・フェース
大仁田厚&渕正信
マジック・ドラゴン&ウルトラセブン


 大仁田は渕と組んでエントリーしたが、当時の大仁田は左膝蓋骨粉砕骨折したばかりでジュニア王者時代とは程遠い動きだった。
 また当時の全日本は新日本プロレス興行の大塚直樹氏と業務提携を結んだばかりで、馬場さんと大塚氏の発案でメキシコ修行中だった三沢光晴を2代目タイガーマスクとしてデビューさせていた。
 大塚氏と手を結んだ全日本は新日本を敵に回して大攻勢をかける直前であり、またUWFから撤退した新間寿氏も全日本に接近しつつあった。


 出場チームは当時インターナショナルジュニアヘビー級王者だった井上が浜田と異色タッグを結成、浜田もUWFに参加していたが新間氏の撤退と共に浜田もUWFから離脱、新間氏の斡旋で全日本に参戦していた、またUWAのフィッシュマンやフェースも新間氏のブッキングによるものだった。
 また大仁田のライバルだったチャボは弟のヘクターと組み、マジックドラゴンに変身していた薗田はウルトラセブン(高杉政彦)のマスクマンコンビを結成して参戦した。


 優勝争いは井上組、ゲレロ兄弟が5点、大仁田組が4点と3チームで優勝争いとなったが、大仁田組は井上組との直接対決で無効試合の無得点試合をやってしまったことで脱落、井上組とゲレロ兄弟で優勝決定戦が行われ、井上がヘクターをジャーマンで降し優勝となった。


 その後大仁田は左膝の状態が良くならず、二代目タイガーの台頭もあってジュニアの最前線から取り残されるようになり、引退をかけて井上の保持するインタージュニア王座に挑戦するも敗れ引退し全日本から去った。それを考えると左膝を骨折した時点でジュニアにおける大仁田の時代も終わりを告げていたのかもしれない。

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