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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

全日本プロレス40周年、武藤全日本は10周年!

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全日本プロレス40周年、武藤全日本は10周年!

 先月発売の「Gスピリッツ」そして今週発売の週刊プロレスの巻頭記事で全日本プロレス40周年をとりあげたが、武藤全日本になってから10周年となる。


 2002年1月に新日本プロレスのトップスターだった武藤敬司が小島聡、馳浩の誘いを受けたケンドー・カシンと共に全日本に電撃移籍したが、新日本のフロント・スタッフと共にでの移籍だったこともあって、新日本を大きく揺るす大事件となった。


 武藤の全日本に移籍した理由、アントニオ猪木が推進する格闘技路線への反発、、一緒に移籍したスタッフから受けた計画(全日本の株式一部上場)などあったと思う、しかし計画も頓挫し、前オーナーである馬場元子さんとの対立やあり、一時は武藤自身も全日本の看板を投げ出そうとしていたこともあった、しかし和田京平レフェリーなど古株の人達が全日本の看板を残すことを最優先し、元子さんを説得して所有していた株を武藤が譲り受けたことで、武藤敬司の全日本プロレスとなった。


 この10年の間はいろいろあった、出会いもあり別れもある。一緒に移ったスタッフや小島もカシン、和田京平レフェリーも全日本を去っていった、武藤自身が最も評価していたブードゥー・マーダーズも不祥事で解散となって消えていった、そして船木と出会い、諏訪魔ら生え抜きがトップを占め、武藤自身も一歩引く立場となった。自身が育てた生え抜きがトップを占めるのは武藤にとって一番の理想系でもあると思う。


 武藤自身がどれだけ現役を続けられるかわからない、それまでにしっかりとした基盤は作り上げたいところ、武藤全日本は10周年となったが、まだまだ普請中である。


 最後に全日本プロレス40周年、おめでとうございます!

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