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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

 略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

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レフェリー40周年と還暦を迎えた和田京平

 14日の全日本プロレス後楽園大会で和田京平レフェリーが「(レフェリー生活)40周年&還暦記念大会」を開催することになった。


 自分がプロレスファンを始めた頃の全日本プロレスのメインレフェリーはジョー樋口さんとミスター林の両レフェリーで、京平レフェリーはジョーさんと林さんが選手と交錯してダウンしてしまうとサブレフェリーとして登場して代わりに試合を裁くか、裁定を降して試合をストップするという役割がTVで多かった。


 その京平さんもジョーさんが高齢、林さんが全日本を退社したことでメインレフェリーへと昇格、四天王プロレス時代にはジョーさんがコールされると「ジョー!」と声援が贈られると、メインで裁く京平さんも「キョーヘイ!」と声援が贈られるようになり、今年死去した仲田龍リングアナとはゴールデンコンビと言われた。


 京平さんはレフェリーだけでなく仲田リングアナと一緒に馬場さんの付き人を務めた、仲田氏は馬場さんの仕事面での秘書的な役割だったが、京平レフェリーは馬場さんのプライベート面での相手役、そして選手やスタッフ、元子さんや仲田氏にも言えない愚痴の聞き役だった。
 馬場さんが生前三沢と元子さんが対立した際に「(引退したら)じゃあ全日本の看板はオレが持っていくか、あとは三沢プロレスなり、小橋プロレスなりやればいい」とこぼしたのは京平さんしか言えない愚痴だったのかもしれない。


 馬場さん死去後は仲田氏が三沢と共に全日本を退社したが、京平さんは馬場さんから元子さんの面倒を見るように遺言されたため全日本に留まった。
 そして武藤敬司が全日本に移籍するも、今度は武藤と元子さんが対立、武藤が独立寸前にまで発展した、この時は京平さんは全日本の看板を残すことを最優先にしたのと、元子体制となってからは経営が芳しくなく、馬場さんの遺産まで全日本につぎ込むことを懸念して元子さんに退陣を進言、元子さんは退陣し武藤体制がスタートした。


 京平さんは武藤を馬場さんのような社長にしようと考え、渕と共に側近となったが、いつしか武藤が馬場さんのようになることを拒絶し渕と共に遠ざけてしまい、そして平井伸和の暴行事件で京平さんがマスコミに「武藤自ら頭を下げるべきだ」と全日本に断りなしに発言したことで武藤が怒り、京平さんは全日本を追われるように去ったが、SMASHのリングに上がった際に馬場さんの入場テーマである「王者の魂」のテーマで登場したときは、京平さんは武藤全日本でいらなくなった馬場さんも持って全日本を去っていったんだと思わざる得なかった。


 武藤体制になってからだったが京平さんは他団体も裁くようになり、他団体のレフェリーに「リングでは一番強いのはレフェリーなんだ。だから自信を持って裁きなさい」「レフェリー次第で試合はより面白くなるし、逆にレフェリーが足を引っ張ることもある」とアドバイスを贈り、また女子プロレスを裁いたときは最初は女子の動きについていけず戸惑っていたものの、全日本で裁いていた村山大値レフェリーに女子プロレスの動きやレフェリングの仕方を学ぶなど、レフェリーとしての視野を広げつつ京平流レフェリングを他団体で貫いた。


 武藤が全日本の新オーナーとなった白石伸生と対立し全日本を去った、白石のバカけたマニュフェストの中に京平さんの復帰があったが、武藤が去ったのもあり諏訪魔の要請で名誉レフェリーとして全日本に戻ってきた、白石は今でも自分は嫌っているが京平さんの戻すという公約を一応守ったことだけは高く評価している。


 自分にとっての京平さんのベストレフェリングは2005年2月20日新日本プロレス両国大会、天山広吉vs小島聡によるIWGP、三冠統一ヘビーのダブルタイトル戦。
 試合は60分フルタイム寸前で天山がスタミナ切れによるガス欠で意識不明の状態となる、普通ならそのままタイムアップとなっていたが、メインレフェリーだった京平さんはサブレフェリーだった田山正雄の確認を得てから試合を止めレフェリーストップで小島が勝利となった。
 実はタイトルマッチ直前で新日本側がメインは田山、サブは京平さんにという要求があったのだが、長年にわたってタイトルマッチを裁いてきた実績もあって京平さんがメインとなった、ダブルタイトル戦は引き分けになるケースが多い、もし天山vs小島戦が京平さんが裁いていなかったらと考えると、京平さんの判断はベストだったと思っている。


 最後に和田京平レフェリー40周年、また還暦おめでとうございます!

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