伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

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1995年10月9日、新日本プロレスvsUWFインターナショナルの全面対抗戦から20年・・・

 新日本プロレスvsUWFインターナショナルの全面対抗戦が行われて今年で20年目となる。


 1995年7月、UインターのNo2格だった山崎一夫が新日本へ移籍した際に、Uインター側は新日本を非難、1985年8月24日、東京スポーツが仲介に入って現場監督の長州力とUインター社長だった高田延彦が電話で会談、そのやり取りの中で新日本vsUインターの対抗戦が突如10月9日東京ドームで行われることになった。


 だが実際は新日本プロレスは3月に行われた北朝鮮「平和の祭典」で負債を抱えていた、また一方のUインターは安生洋二によるヒクソン・グレイシーの道場破り失敗で影響が大きく響き観客動員が低下していた、対抗戦の実現は双方の利害関係の一致から実現したと見ていいだろう。


 話は少し脱線するが、まとまらなかったのはUインター側、Uインターの三幹部の一人である宮戸優光が対抗戦に猛反対した。
 Uインターを支えていた安生、宮戸、鈴木健の3人はヒクソンの道場破り失敗の前後から溝が生じ、経理に疎い宮戸が鈴木健の経理上の不正を糾弾するも、日頃から宮戸を良く思っていなかった安生が鈴木健側に立ったことで宮戸は孤立してしまった。
 そして対抗戦直前となって宮戸は田村潔司、高山善廣を中心とした新体制また新団体を起こそうとしてクーデターを計画、選手に呼びかけるが誰も宮戸の計画に乗らず、居場所を失った宮戸はUインターを去り、Uインターは新日本との対抗戦に拍車をかけた。


 そして10月9日当日、自分は試合結果を待った、試合結果速報ダイヤルも対抗戦の注目度が高かったせいか、なかなか繋がらない。そしてやっと繋がると武藤敬司が足四の字固めで高田を破ったことが流れると、自分は即座にU信者のファン仲間に連絡、友人の一人は高田に対して「Uの恥さらしが!」「なぜギブアップしたんだ」と言い放った。


 Uインター側は対抗戦に関しては東京ドーム大会だけでなく長期的ビジョンで考えていたと思う、しかし新日本側にしてみれば総大将である高田を破れば充分、高田のギブアップによる敗戦はUインターに悪い意味で大きな影響を与えた。

 
 翌年の1月4日東京ドームで高田は武藤にリベンジを果たしIWGPヘビー級王座を奪取するも、最初の武藤戦の敗戦のイメージは拭えることが出来ず、越中詩郎に防衛した後で橋本真也に敗れ王座から転落、新日本vsUインターの対抗戦は新日本によって天龍源一郎率いるWARvsUインターに刷りかえられ、Uインターは12月に崩壊した。


 今では交流戦という形で対抗戦が行われているが、全面対抗戦の対抗戦は敗れたものの末路というものを充分に見せつけられた。
 

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