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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

 略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

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プロレス多事争論「三沢光晴」

 三沢光晴が死去して4年が経とうとしている、三沢が遺していったNOAHは暴露本という逆風に晒されながらも生き残っている、最近になって三沢がなぜNOAHを旗揚げしたのかを考えてみたくなった。


 三沢がNOAHを旗揚げする要因になったのは全日本プロレス時代の“三沢革命”であることには間違いない、しかし、もう一つの理由があるとすればジャイアント馬場さんへの反発だったのかもしれない。

 

 四天王プロレス時代の全日本は武道館を常に満員にし、東京ドームへも進出したが、選手らの待遇などは変わらないまま、それに一石を投じたのは三沢だった、選手らの待遇改善、不明瞭な経理を廃しガラス張りの経営・・・しかし選手らは大きな存在である馬場さんに意見を言うことが出来ない、そこで選手やスタッフから“頼りになる兄貴分”とされてきた三沢が物申したが、理想だけでは経営はやっていけないことを身に染みるほどわかっている馬場さんは快い返事は出さなかった、三沢の中では馬場さんは親のような存在でもあり、レスラーとしても尊敬していたと思う、しかし快い返事をもらえなかった時点で三沢はレスラー・馬場さんを尊敬しても、経営者としての馬場さんは尊敬しなくなり、頼ってくる仲間たちの言うことを聴くようになった。


 馬場さんが死去し、三沢が全日本を継いだものの、馬場さんの未亡人でありオーナーの元子さんと対立し離脱、NOAHを設立し三沢を頼ってきた仲間が集まってきた、三沢にしてみれば自分の下に集まってきたレスラーやスタッフは仲間だったのかもしれない、三沢は社長に就任したが“兄貴分”が抜け切れない社長だったと思う、三沢は自身の理想を貫くためレスラー達の待遇改善、ガラス張りの経理などを目指してきた反面、親族を経営者に迎えない、外部(マスコミ)ブレーンの排除などは三沢の理想だけでなく馬場さんへの反発の意味もあったと思う。


 しかしいつまでも“兄貴分”ではいられなかった、NOAHが苦しくなると頼ってきた仲間たちが足かせとなり、三沢はNOAHを守るために仲間たちをリストラした、この時点で三沢が“頼りになる兄貴分”から“経営者”になったと思う、このときほど馬場さんが言わんとしていた現実というものを思い知らされたのではないだろうか・・・


 死去するまでの三沢は理想と追い求める三沢と現実を知った三沢との戦いだったと思う、例の事業話に乗ってしまったのも、三沢自身が現実というものから逃れたかったということだったのかもしれない。


 2009年5月京都KBSホール大会、自分が最後に生で三沢を見た大会だったが、会場入りする三沢にファンが集まっていったが、いつもファンサービスには応じる三沢がしんどそうな顔を浮かべてファンを寄せ付けず会場へと入っていった姿、今でも自分は疲れていた三沢の姿を忘れることが出来ない。その1ヶ月後の6月13日・・・死が迫っていた三沢はこのとき何を思ったのだろうか・・・

 

 現在・・・三沢の側近だった仲田龍、永源遥両氏が詐欺師の一件で処分され役職から解かれてしまった。これを聴いたときは両氏だけの責任じゃないだろう、社長だった三沢にも責任があるのではと思った、しかし三沢はこの世にいない、周囲から頼りにされていた兄貴分だった三沢、最後で側近に迷惑をかけることになってしまったが、本当は三沢自身が誰かに甘えたかったということだったのかなと思う、4年目の6月13日、午後10時10分、忘れられない日がまた来る。

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