長州力が結婚、そしてジャパンプロレス分裂劇、新日本Uターンから30年あまり・・・
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長州力が結婚、そしてジャパンプロレス分裂劇、新日本Uターンから30年あまり・・・
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— 伊賀プロレス通信24時 (@igapro24) 2017年1月13日
日本テレビ系列で放送された「行列のできる法律相談所3時間SP」で長州力が夫人である英子さんと共に出演したが、英子さんがTVに出演するのは自分の記憶が正しければおそらく2度目、昭和61年4月に当時火曜日に放送された「ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング」にて長州の披露宴が生放送され、そのときに英子夫人が披露されたが、このときの長州は当時参戦していた全日本プロレスから新日本プロレスへのUターンが取り沙汰されていた時期でもあった。
長州は維新軍団や新日本の中堅・若手らと共に昭和59年9月に新日本を離れてジャパンプロレスへ移籍、ジャパンと提携していた全日本プロレスへ参戦するようになっていたが、61年ごろになると全日本での戦っていくことに行き詰まりを感じるだけでなく、ジャパン内の内紛に悩まされるようになっていた。
そこで新日本側からUターンを持ちかけられ、右手首の腱鞘炎を理由にシリーズを欠場したことで新日本へのUターンは秒読み段階に入っていたが、今思えばワープロ内で放送した長州の結婚披露宴理由は新日本へUターンするという既成事実を作りたかったのか、それだけ当時の長州は商品価値が高い存在でもあった。
当然全日本も黙ってはおらず法的処置も辞さない姿勢を示したが、長州は自分に追随する選手だけを率いて新日本へ強行Uターンを図るも(ジャパンプロレスは分裂)、日本テレビとの契約とも契約を結んでいたことで日本テレビ以外で長州の試合は放送できないことになっており、長州はリングサイドなどでテレビ朝日の画面に映ることはあっても、試合は放送されない日々が続き、長州の試合はワープロに放送されたのは半年後の10月だった(長州と馬場との話し合いで放送契約は解除となった)が今思えば馬場さんなりの長州や新日本、またテレビ朝日に対する報復だったのかもしれない
長州が結婚した昭和61年は激動の年でもあったが、長州が結婚して30年余り、改めて時の流れを痛感してしまう。
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