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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

力道山没後50年で力道山を刺した男が死去

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力道山没後50年で力道山を刺した男が死去

 (毎日新聞より) 戦後のヒーローとして国民的人気があったプロレスラーの力道山(当時39歳)をナイフで刺して死亡させたとして、懲役7年の実刑判決を受けた当時暴力団組員の村田勝志元受刑者(74)が亡くなっていたことが12日、関係者への取材で分かった。関係者によると、死因は病死とみられ、東京都内の病院で9日ごろに死亡したという。

 東京地裁の判決などによると、1963(昭和38)年12月8日深夜、千代田区永田町のナイトクラブで力道山とけんかになり、腹をナイフで刺した。当初、命に別条はないとされたが、力道山はこの傷が原因で1週間後に死亡。村田元受刑者もボディーガード役に殴られて入院していたが、容体が回復後に逮捕された。
 
 力道山は40年に角界入りし、関脇まで昇進した後に引退してプロレスラーに転身。空手チョップで人気を博し、プロレス中継する街頭テレビは黒山の人だかりとなった。


 力道山没後50年で力道山をナイフで刺して死亡させた村田勝志元受刑者が病死で死亡していたことが明らかになった。


 昭和38年12月8日、赤坂のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で酒を飲んでいた力道山に大日本興業の暴力団員だった村田元受刑者が通りかかった際に、力道山が足を踏んだ踏まないので口論となり、力道山が仲直りをしようとして和解を持ち出すが村田受刑者は「自分の立場がないと」と拒否、力道山は村田元受刑者の顎を殴り倒したところで馬乗りとなって殴り、村田元受刑者は“殺される”と判断して力道山の脇腹をナイフで刺した・・・
 力道山は感情の起伏が激しく、特に酒が入ると粗暴となり、暴力沙汰を起こして新聞に報道されることが多く、また当時のプロレス興行は暴力団と密接な関係にあったにも関わらず暴力団とのトラブルも耐えなかった。また力道山もこの時期はレスラーとしても下り坂にさしかかっていたことから、痛みを和らげるために酒の量が多くなっていたという。


 力道山は刺された7日目の12月15日に化膿性腹膜炎で死去、医療事故説もあったが、長年の激闘のツケもあって内蔵も悪くしていたのもあり、結果的にはナイフで内臓を刺されたことが遠因とされた。


 
 昭和50年代に古いプロレス関係者は「力道山が生きていれば3団体(新日本、全日本、国際)に分かれてなかった」とコメントしているが、力道山は引退後のことを考えて事業に走って借金を抱え、またジャイアント馬場さんも力道山のことは快く思っておらず、アントニオ猪木も力道山を称えながらも本音ではと含むこともあり、日本プロレスも力道山の作った借金を背負うのを嫌がって事業と切り離したことを考えると、例え力道山が生きていてもプロレス界の分裂は避けられず、また力道山も性格的な問題や事業問題もあって晩節を汚す結果になっていたのではと思う。


 そして没後50年で力道山を刺した村田元受刑者も死去、またこれも偶然とはいえ因縁めいたものを感じた。

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