伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

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三沢光晴の運命を決めた2代目タイガーマスク誕生秘話

 2代目タイガーマスク
1984年7月31日、全日本プロレス蔵前国技館のリングで当時日本テレビのアナウンサーだった徳光和夫氏の呼びかけでタイガーマスクが登場、全日本プロレスのリングに参戦することが発表されたが、自分は眼の感じからいって初代タイガーマスクの佐山聡の眼でなく、三沢光晴であることを察知、館内からも"三沢"の声が飛び交っていた。


 この年の2月に新間寿氏がUWF設立かで新日本プロレスが揺れ動くなかで、初代タイガーマスクのマネージャーだったショウジ・コンチャ氏が当時全日本の会長となっていたジャイアント馬場さんと日本テレビから出向していた松根光雄に、初代タイガーマスクの復帰意を全日本に打診してきたのだ。初代タイガーは前年度に起きた新日本のクーデター事件で引退とされており、馬場さんも「新日本との関係は大丈夫なのか?」と返したが、コンチャ氏は「引退はしておらず新日本との契約は解除しており、現在はフリーだ」として新日本との関係はクリアしているとして、契約金などの金銭的な話を積極的にしてきた。だが馬場さんは即座に返答しなかった、理由は馬場さんはコンチャ氏は信用出来る人間なのか?新日本との関係はクリアされているのか?コンチャの言うことは鵜呑みに出来ないとして慎重に調査する必要があったからだ。馬場さんの読みが当たったのか、佐山の知らないところでコンチャ氏が全日本に接触したことがわかると、佐山は怒りコンチャ氏とは距離を取り始め、コンチャ氏のラインで初代タイガーの全日本参戦は消えてしまった。佐山はUWFのリングでスーパー・タイガーとして再デビューを果たす。


 話が遡って1983年11月に新日本クーデター事件に加担していた営業部長の大塚直樹氏は辞表を提出していたが、アントニオ猪木から引き止められ、猪木が休眠会社だった新日本プロレス興行を譲り受け、新日本の興行を手がけていた。しかし設立パーティーに猪木が出席しなかったことで大塚氏が猪木を不信感を抱くようになり、また幹部らからも「裏切り者なのに、アイツらだけ美味しい汁を吸っている」と陰口や批判を受け始めたことで、新日本との亀裂が生じ始めていた。その情報を耳にした1984年5月に馬場さんが大塚氏に全日本の興行を手がけないかと打診、新日本に愛想を尽かしていた大塚氏も馬場さんと会談、オファーを受ける形で新日本興行で押さえていた8・26田園コロシアム大会を全日本で行うことになった。田園コロシアム大会は新日本の興行を開催するために押さえていたが、新日本が開催しないことを新日本興行に通達していた。 


 大塚氏は新日本の幹部達に全日本の興行を手がけることを報告すると、大慌てした新日本側がは大塚氏ら新日本興行側に好条件を提示し全日本の興行をやめるように求めるが、大塚氏の気持ちは新日本から離れており、馬場さんからも「大塚さん、関係ないよ。もうやろうよ」と後押しを受けて、全日本と新日本興行の提携会見を開いた。提携の話し合いを進めていたところで馬場さんはコンチャ氏から初代タイガーマスクの売り込みがあったことを明かすと、大塚氏は「全日本で2代目タイガーマスクを作っちゃえばいいじゃないですか?」と提案、馬場さんも乗り気になり、大塚氏はタイガーマスクの原作者である梶原一騎にコンタクトを取り了承を得て、2代目タイガーマスク計画が動き出した。当初の候補は梶原一騎が『2人のタイガーマスクを誕生させてくれ』と条件を出していたことで、推薦する士道館の若手空手家が一人の候補され、もう一人の候補は馬場さんはメキシコへ武者修行に出ていた三沢をピックアップしていた。三沢は越中詩郎と共にこの年の春に武者修行に出たばかりだった。馬場さんから「コーナーポストに飛び乗れるか」と聴かれると三沢は「出来ます」と答えたことで日本から出て僅か数ヶ月で帰国を命じられた。帰国が決まった三沢は先輩である越中より先に帰国することの心苦しい思いをしたという。
 2代目タイガーは2人の候補に絞られ、最悪2人のタイガーをデビューさせる案もあった。2人タイガーは、現在の新日本プロレスで4代目タイガーマスクとタイガーマスクWとのタッグが実現していたが、今思えば梶原の案が現在になって実現していたことになる。話は戻るが梶原の推薦していた空手家は全日本の道場にも通い、巡業にも帯同していたが、最終的に断念し2代目タイガーマスクは三沢一人に絞られた。


 新日本興行が全日本プロレスの興行を手かげた8・26田園コロシアム大会が開催されたが、2日前に新日本側から「全日本との業務提携を破棄しなければ、一切の新日本との契約を9月末をもって破棄する」と通告を受けた中での開催だった。2代目タイガーマスクは手の合う相手として選ばれたラ・フィエラ相手にデビュー戦を行い、"三沢"という野次が飛び交うもノータッチトペコンを披露するなど、ファンのド肝を抜き、最後はタイガースープレックス84でデビュー戦を勝利を収め、ヘビー級でも昨年夏に引退していたテリー・ファンクがスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ組の手を出したことで復帰を宣言するなど新しい流れが生まれていた。その翌日に大塚氏が会見を開き、新日本に対して絶縁を宣言、全日本と組んで新日本潰しに出ることを表明、その第1弾として選手の引き抜きを明言、その後長州力率いる維新軍団、永源遥ら若手中堅勢などが引き抜かれたのは別の話である。


 2代目タイガーマスクはこれからマット界に起きる激震前夜にデビューを果たしたわけだが、2代目タイガーとなる三沢光晴がプロレス界の担うトップレスラーになっていくことは誰が予想出来ていただろうか…?2代目タイガーマスク誕生はまさしく三沢の運命を決めた出来事だったのかもしれない。
(参考資料=ベースボールマガジン社 日本プロレス事件史Vol.22「夏の変事」)

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