忍者ブログ

伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

ブルーザー・ブロディ

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

ブルーザー・ブロディ

 今日はブルーザー・ブロディの命日、自分がプロレスファンを始めた昭和56年頃のブロディはドリー・ファンク・ジュニアとインターナショナルヘビー級王座を巡る抗争中で、ブロディがドリーの息子であるディンク君をキングコングニーでKOする暴挙を働いていた、全日本プロレス創立10周年記念大会の蔵前国技館では息子をKOされ完全に冷静さを失ったドリーがブロディのチェーンを奪い制止するジョー樋口レフェリーを突き飛ばして反則負け、ブロディは新日本プロレスに引き抜かれたアブドーラ・ザ・ブッチャーに代わりザ・ファンクスの敵役になることで全日本プロレスのトップ外国人選手へと昇りつめた。


 スタン・ハンセンとの超獣コンビ、ジャンボ鶴田とのインターナショナルヘビー級王座巡る抗争で全日本にとって欠かせない存在となったブロディだったが、鶴田にインター王座を明け渡してから立場が微妙なものになり、昭和60年に新日本プロレスから全日本に戦場を移してきた長州力を徹底的に痛めつけたあとで新日本に移籍(ザ・グレート・カブキによるとブッチャーに誘われる形での移籍だったという)、ブロディの相手はアントニオ猪木となったが、プロモーターと揉めるブロディは新日本ではコントロールすることが出来ず、新日本マットから追放され、日本マット界から締め出された。今思えば馬場さんがブロディの離脱に関して事を荒立てようとしなかったのは、新日本ではブロディは扱うことは出来ないと考えていたのかもしれない。


 昭和62年にブロディは全日本にUターンした、馬場さんは裏切った人間を二度と使わないことを主義にしていたが、ブロディはカブキとフリッツ・フォン・エリックのとりなしがあり、新日本側が長州を奪還して貸しがあったことから、借りを返す意味でブロディを奪還することが出来Uターンを認めた。ブロディは株をしており大損をしたということで金が必要となり馬場さんに泣きついたという話もあった。馬場さんは「昔と違って扱いやすくなった」と周囲に漏らしていたという。


 最強タッグでは盟友であるハンセンとタッグながら対戦も実現させ、昭和63年にブロディは鶴田からインター王座を奪還、天龍源一郎とPWFヘビー級、UNヘビー級をかけた三冠統一戦も実現させた、鶴田に初フォール負けを喫しインター王座を明け渡したが、ハンセンとのシングル戦という話も浮上していた最中の7月16日『ズームイン朝』でブロディ死去の一報を聴いた。


 ブルーザー・ブロディは今でも自分の中では好きなレスラーの一人である。

PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。