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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

ジャンボ鶴田が初代王者も、難産の末統一された三冠ヘビー級王座

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ジャンボ鶴田が初代王者も、難産の末統一された三冠ヘビー級王座

 全日本プロレスの三冠ヘビー級王座は現在一つのベルトにまとまっているが、インターナショナルヘビー級・UNヘビー級・PWFヘビー級と歴史の深い3本のベルトを束ねた権威ある王座である。

 その三つのベルトが統一されるきっかけになったのは87年6月、天龍革命が活性化されてからで、インター王座はジャンボ鶴田、PWF王座はスタン・ハンセン、UN王座は天龍源一郎がそれぞれ巻いていたが、どの王者が強いのかと問われ始め、3人の王者による王座統一戦の気運が高まっただけでなく、3王座より最も権威が高いとされたNWA世界ヘビー級王座が、WWF(WWE)に唯一対抗していたジム・クロケット・ジュニアのクロケットプロモーションによって独占され、NWA会員だった全日本に王者を派遣しなくなったことで、全日本のクロケットの関係が険悪化しつつあり、ジャイアント馬場も将来的にNWAから離れることを視野に入れて新たなる権威ある王座を必要としていた。

 1988年9月11日広島で行われたハンセンvs天龍によるPWF&UNのダブルタイトル戦から三冠統一路線が始まり両者リングアウトで2王座とも統一はならなかったが、10月から全日本に復帰したブルーザー・ブロディが割って入り三冠統一路線に参入、四つ巴の争いとなっていく。1989年3月9日にハンセンvs天龍の再戦が行われ、天龍が首固めで3カウントを奪い二冠を統一するも、27日の武道館大会ではブロディが鶴田を破りインターヘビー級王座を奪取する。4月4日愛知で谷津嘉章を降しインター王座を防衛したブロディと、武道館でハンセンの再戦を退けた天龍の間で初の三冠統一戦が15日大阪で行われ、試合はブロディの最大の必殺技であるコーナー最上段からのキングコングニードロップを喰らいながらも、序盤での天龍の足攻めが効いていたせいかカバーに入れず、九死に一生を得た天龍が場外でパワーボムを決めるも両者リングアウトの引き分けで王座は統一ならず、インター王座は19日仙台でブロディとの再戦でフォール勝ちを収めた鶴田の手に戻り、ブロディも7月にプエルトリコで不慮の急死となったことで、三冠統一は再び鶴田と天龍の二人に絞られたかに見えたが、7月27日の長野で盟友ブロディの急死で燃えたハンセンが天龍を大流血に追い込んだ上で、コーナーに昇る天龍にウエスタンラリアットを浴びせて場外まで吹き飛ばしてKO、ハンセンが勝利で二冠王となり、三冠統一は鶴田とハンセンに絞られた。




 鶴田とハンセンによる三冠統一戦は10月17日の広島で行われたが、テキサス州アマリロで共にファンクスの教えを乞うたもの同士で仲も良かったこともあって盛り上がりの欠く試合が多かったこともあり、そのためか広島での統一戦は両者リングアウトとなって、またしても三冠統一ならなかった。昭和から平成となり3月6日にやっとクロケットプロが2年ぶりにNWA世界王者を全日本が派遣したが、王者リッキー・スティンボードへのクロケット側が「鶴田、天龍の世界ヘビー級王座への挑戦は認めない」と指示を出すと、馬場が「だったらNWA王座はウチの三冠より下と扱わせてもらう!」と激怒し、三冠統一へと拍車をかける。89年4月16日後楽園大会で鶴田とハンセンの間で三冠統一戦が行われたが、盛り上がりに欠くことを意識しすぎたのか、場外で客席まで雪崩れ込む大乱闘を繰り広げると、長すぎる場外戦に歯止めがきかず、レフェリーの制止も聴かなかったため、両者リングアウトではなく収拾不可能ということでノーコンテストの裁定を降し、三冠統一どころか不完全燃焼の結末に後楽園のファンは怒り、ブーイングを浴びせ、物まで飛び交うなど会場が騒然となる事態にまで発展してしまった。

 この事態を受けて2日後である18日大田区体育館で再戦が行われ、鶴田は流血するもハンセンのウエスタンラリアットをかわして丸め込んで3カウントを奪い、やっと三冠統一はなされたが、試合もやっぱり盛り上がりに欠ける凡戦だった。だが難産の末に全日本の新たなる権威であるよ三冠王座がやっと誕生した。
 鶴田は2日後の20日大阪で天龍の挑戦を受けたが、受身の取れない急角度のパワーボムで天龍をKOして初防衛に成功、おそら鶴田の仕掛けたパワーボムは失敗作で、天龍が失神か首を負傷したことを受けて和田京平レフェリーが試合を止めた形となったのだろうが、改めて鶴田の強さを知らしめた。



6月5日の武道館大会で鶴田は天龍と対戦し、天龍がパワーボムで3カウントを奪い王座を奪取したが、しばらくして全日本はクロケットプロとの提携を解消、正式にNWAから脱退した。以降選手権認定宣言からはNWA認可がなくなり、「PWFが認定する三冠ヘビー級選手権試合」とされ、全日本独自の権威のある王座が誕生した。

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