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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

なぜNWA世界ジュニアヘビー級王座が曰くつきの王座となったのか!?

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なぜNWA世界ジュニアヘビー級王座が曰くつきの王座となったのか!?

10月13日、新日本プロレス両国大会でBUSHIがNWA世界ジュニアヘビー級王座に挑戦する。自分がこの王座を知ったのは昭和57年5月25日、当時王者だったレス・ソントンに初代タイガーマスクが挑戦し王座を奪取、その後初代タイガーは初代ブラックタイガーを破ってWWFジュニアヘビー級王座も奪取しジュニア二冠王の偉業を達成してからだった。


 なぜ曰く付きの王座なのか、歴史を紐解けば1943年に王座が創設(初代王者はケン・フェネロン)。1949年にはレロイ・マグガークが王者となるも交通事故で失明したため引退、オクラホマのプロモーターとなったマグガークにNWAは世界ジュニア王座の管理を委託、NWA世界ジュニア王座はマグガークのテリトリーであるオクラホマ、ルイジアナ、ミシシッピ、アーカンソーを中心に選手権が行われた。


  NWA世界ジュニア王座はマグガークの管理化の時代はダニー・ホッジを始め後のAWAの帝王となるバーン・ガニア、アマリロの大物プロモーターでザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク)の父親であるドリー・ファンク・シニア、WWA王者となるフレッド・ブラッシー、ホッジのライバルであるヒロ・マツダなどが歴代王者に名を連ねるも1960〜1970年代はさほど注目される王座ではなかった。


  1978年に新日本プロレスの藤波辰爾がWWF(WWE)ジュニアヘビー級王座を奪取すると、日本でジュニアヘビーブームが巻き起こり、新日本は当然ながらNWA世界ジュニア王座にも目をつけるが、当時の新日本はNWAの会員でありながらも世界王座のブッキング権は全日本プロレスに独占され、ジュニア王座も全日本が最優先とされた(全日本ではケン・マンテルvsジャンボ鶴田、マツダvsマイティ井上、ネルソン・ロイヤルvsアド・マドリルがNWA世界ジュニアヘビー級選手権として行われた)。


  そこで新日本は反主流派の大物プロモーターであるWWFの先代ビンス・マクマホンとフロリダのプロモーターであるエディ・グラハムと組み、当時の王者だったロイヤルが引退したのをよいことにマグガークを無視して勝手に王座決定トーナメントを開催、その王座は日本に渡り藤波が王者となりNWAインターナショナルジュニアヘビー級王座となって新日本の王座となった、マグガークも反撃して王座決定トーナメントを開催しNWA世界ジュニア王座が二つ存在するという事態を招くもマグガークが主流派に属していたのもあって、マグガークの管理するNWA世界ジュニア王座が正当であると認められた。


   ところが1981年に日本では外国人選手の引き抜き戦争が勃発、全日本は当時のインタージュニア王者だったチャボ・ゲレロを王座ごと新日本から引き抜く、またアメリカではマグガークがブッカーだったビル・ワットと対立、ワットはマグガークに叛旗を翻してMSWAを設立、マグガークとMSWAは興行戦争となるが、主力選手のほとんどがMSWAに走ったためマグガークは惨敗しプロモーターから引退する、この頃にはソントンが既に王者だったがマグガークが王座の管理権も放棄していたため、おそらくだが個人で所有し防衛戦を続けていた。


  管理者不在の王座に目をつけた新日本はソントンを招き、初代タイガーが王者となるが、NWAのアジア支部長だった全日本のジャイアント馬場がNWA会長だったボブ・ガイケルに抗議する。しかし「まあまあ、そんなに事を荒立てず。今回は全日が折れてくれよ」とNWA本部が認めてしまったため渋々承認するも、馬場は「ただ、向こうさん(新日本)のタイトルはもうNWAは管理していないんです。管理していたレロイ・マクガークは引退してNWAから脱退している。かといって新日本に管理を委ねたなんて話は、少なくとも(NWAアジア支部長の)俺は聞いてない。現にソントンはその後もテキサス、プエルトリコで王者としてタイトルマッチを行っている。一体誰があのベルトを管理しているのか、そこら辺はハッキリさせなくていいんでしょうかね?」と強引なやり方で王座の管理権を取得した新日本を批判した。


  その後全日本に渡ったインターナショナルジュニアヘビー級王座はNWAから、「今後は半永久的にPWFと全日本プロレスに一任する」と全日本の王座となり、後に世界ジュニアヘビー級王座と改められ、ベルトも一新して現在に至る。


   NWA世界ジュニア王座はWWFと共に新日本が管理し初代タイガーの後はザ・コブラが王者となるが、その間にソントンが勝手に王者を名乗る事態も発生する(その後ソントンがWWFへ移籍したため王座は返上となる)。WWFがNWAから脱退、新日本もWWEとの業務提携を解消したためベルトは返上となり、ベルトはNWA第一副会長だった馬場によってNWAの直轄となるも、この頃にはWWFが全米侵攻を開始、NWAは組織が低下すると共に王座の権威も低下する。

 その後新日本を始めとする各団体が提唱したジュニア8冠王座の一つとなったり、4代目タイガーマスクが奪取するがIWGPジュニアヘビー級王座より格下と扱われた。


 現在の王者はチェイス・オーウェンズという選手だが、どんな選手なのかは不明も既に3度も王座を奪取しているという。果たしてBUSHIが王座を奪取して王座の権威を取り戻すのだろうか・・・?

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