小橋健太の思い出②ダニー・スパイビーのイス攻撃と馬場さんとの親子タッグ
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
小橋健太の思い出②ダニー・スパイビーのイス攻撃と馬場さんとの親子タッグ
小橋健太を初めて生で見たのは1991年8月25日の自分の地元である三重県上野勤労者体育センター、当時超世代軍に属していた小橋はメインで三沢光晴、川田利明と組みスタン・ハンセン、ダニー・スパイビー、ジム・ブランゼル組と対戦、いつもの鶴田軍vs超世代軍の日本人対決ではなく田舎ということなのか日本人vs外国人という組み合わせとなったが、そんなに盛り上がった試合でもなかったが場外戦となったときにスパイビーがイスを持ち出して小橋の背中を“バシっ”と一撃を浴びせた、自分は最前列で見ていたがイス攻撃の迫力と背中で受けた小橋を今でも印象に残っている。試合は三沢がブランゼルをフライングボディープレスで降したが、このときの小橋は好勝負は展開するも、超世代軍第3の男の域は脱していなかった。
2度目に見たのは1992年世界最強タッグ決定リーグ戦、12月2日愛知県露橋スポーツセンター大会、小橋はジャイアント馬場さんとの親子タッグでリーグ戦にエントリーし、露橋大会ではスパイビー、ケンドール・ウィンダム組と対戦、小橋は馬場さんの指示を受けながら試合を展開していたが、小橋の熱闘ぶりに馬場さんも乗ってきたのか普段見せないアームホイップからの寝技やジャイアント・コブラツイストまで披露、試合は小橋がウインダムをムーンサルトプレスで降したが、小橋を前面に出しつつも脇で馬場さんがしっかり固めていた試合だった。
91年は三冠王者だったジャンボ鶴田がトップを張り、92年は鶴田が病気欠場で一線を退き三沢光晴ら四天王プロレス世代が全日本のトップを任されたが、まだまだ小橋は覚醒していなかった・・・
コメント
ただいまコメントを受けつけておりません。
コメント