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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

蝶野正洋がG1二連覇!NWA王者奪取も、もう一人の立役者はリック・ルードだった



1992年8月6日、静岡産業会館から両国国技館3連戦と第2回G1 CLIMAXが開催され、この年のG1はリーグ戦方式からトーナメントとされ、空位となっていたNWA世界ヘビー級王座決定トーナメントも併せて行われた。

出場選手
蝶野正洋、リック・ルード、アーン・アンダーソン、スティーブ・オースチン、武藤敬司、バリー・ウインダム、トニー・ホーム、クラッシャー・バンバン・ビガロ、スコット・ノートン、佐々木健介、ジム・ナイドハート、馳浩、テリー・テイラー、橋本真也、ザ・バーバリアン、スーパー・ストロング・マシン

 1990年12月20日、新日本プロレスはこの年の10月に旗揚げしたばかりだったSWSがWWF(WWE)との業務提携を結んだことでの抗措置としてWWFとの競合団体だったWCWとの提携を結んだ。WCWは1988年まではNWA会長のジム・クロケット・ジュニアによるプロモーションに過ぎなかったが、全米侵攻で各テリトリーを飲み込んでいたWWFに対抗して、テリトリーを急激に拡大したことで経費がかさんで経営が悪化、WWFの攻勢もあって窮地に陥ったところで、アメリカの大実業家で、テレビ王であるテッド・ターナーにプロモーションに売却、世界最高峰とされたNWA世界ヘビー級王座もWCWの王座として存続、だがNWAはWCWの影響下に置かれても、あくまでWCWとは別組織とされ、WCWの一存ではNWA王座は扱えることが出来なかった。その影響もあってWCWもNWAの名前は外し、世界ヘビー級王座として呼称させていた。
 1991年3月21日、新日本プロレス東京ドーム大会で藤波がリック・フレアーを破りNWA世界ヘビー級王者となったが、王座移動を巡ってWCW側からクレームが入ってしまう。結局藤波への移動はNWAは認められたが、WCWは日本での王座移動を隠すために、世界ヘビー級王座と呼称させたのを利用してWCW世界ヘビー級王座を誕生させ、フレアーを王者に据えて防衛戦を続けさせていた。5月にフレアーが藤波を破りNWA世界王座を奪還、フレアーは二冠王者となるも、その後すぐにフレアーがWCWの間にトラブルが起き、NWA王座ベルトを持ったままWWFに移籍する事態が起きてしまう。WCWはフレアーから2つの王座を剥奪し、WCW王座はレックス・ルガーが新王者となるも、NWA王座は1年間放置され空位となっていた。
 トーナメント開催にあたってNWAの会員だった坂口征二が会員の推薦で会長に就任した。NWAの権威は下がっていたが、腐っても鯛でまだ利用価値はあり、まだ日本ではNWA世界ヘビー級王座は世界最高峰のベルトと扱われていたことから、WCWも新日本との提携にNWAの存在を大いに利用しようと考えたのかもしれない。

 この年のG1はIWGPヘビー級王者の長州力、前王者の藤波辰爾はエントリーせず、代わりに馳、健介、マシンが参戦も、馳はG1開幕直前で右肩を負傷したため欠場する。外国人勢はビガロ、ノートン、ホームの常連勢に加え、WCW提携路線に乗って、WCWからはルード、アンダーソン、後に"ストーンコールド"となるオースチン、ウインダム、ナイドハート、テイラー、バーバリアンが参戦した。開幕直前の予想では第2回はWCWを経験している武藤が本命視され、また16日神戸ワールド記念ホール大会でムタとして長州の保持するIWGPヘビー級王座に挑戦することも決まっていたこともあって大きな期待が寄せられていた。

 8・6静岡、8・7愛知で1回戦が行われ、オースチンがアンダーソン、武藤がウインダム、蝶野がホーム、ノートンがビガロを破り1回戦を突破、8.7愛知ではルードがマシン、橋本がバーバリアン、健介がナイドハートを降し、テイラーも馳の代役が誰も立てられなかったこともあって不戦勝で1回戦を突破したが、この時点ではルードがダークホース的な存在になるとは誰も予想していなかった。

 8・10から両国3連戦がスタート、自分もG1の興奮を味わいたくて上京し3泊4日で国技館3連戦を観戦、升席での観戦だったが4人押し込められて窮屈だった。武藤はオースチン、蝶野はノートン、健介はテイラーを破り準決勝へ進出したが、ルードと対戦した橋本がルードのインサイドワークに翻弄されて敗れるという波乱が起き、この時点でルードが注目株と目されるようになる。ルードはWWF在籍時にはマッスルボディと腰をクネらせるパフォーマンスで注目を浴び、ハルク・ホーガンの保持するWWF世界ヘビー級王座にも挑戦し、アルティメット・ウォリアーを破ってインターコンチネンタル王座を奪取する実績を誇っていたが、日本のファンからは単なるショーマンレスラーでしか認知されず、WWF離脱後は1991年7月には全日本プロレスに参戦したものの、テリーゴーディ、スティーブ・ウイリアムス、スタン・ハンセンがトップだったこともあって存在感を発揮することは出来なかった。
 11日の準決勝でも健介と対戦したルードは橋本戦同様、本来の持ち味であるインサイドワークを駆使して健介を翻弄して破り決勝に進出、武藤は準決勝で蝶野と対戦も、蝶野のSTFの前に敗れてしまい、蝶野が2年連続で優勝決定戦に進出してルードと対戦することになった。

 12日に優勝決定戦となったが、客席にはワット、ローデスのWCW両首脳だけでなく、アントニオ猪木、WCWの一員となっていたヒロ・マツダも客席に陣取り観戦、だが蝶野は7・11札幌で行われた越中詩郎戦でドラゴンスープレックスを喰らった際に古傷である首を負傷しており、最悪のコンディションでG1に突入も、決勝戦になって悪化してしまい、痛み止めの注射を2本打って優勝決定戦に臨んだ。。
 開始前にルードが張り手を仕掛け、蝶野が返したことで試合開始となり、蝶野は開始からいきなりラリアットの連打、ケンカキックを狙うが、ストップをかけたルードがうつ伏せで倒れ焦らしにかかり、蝶野の勢いを止めるも、対する蝶野も腰クネポーズで挑発する。
 ルードは蝶野の首を痛めていることを熟知していたのか、首あたりにエルボーを連打、串刺し狙いは蝶野がキックで迎撃しネックロックやスリーパーで動きを止めにかかるが、ルードはチンクラッシャーで脱出、クロスチョップの連打で再び首にダメージを与える。
 ルードはラリアットを狙うも、かわした蝶野はスリーパーで捕獲、ルードはまたチンクラッシャーを狙うが、蝶野は技を解いたことでルードはすっぽ抜け、蝶野は再びスリーパーで捕獲も、ルードも袈裟固めで切り返し、グラウンドで切り返しの攻防から、ルードがヘッドロックで捕らえると蝶野はニークラッシャーを決め、ローキック連打からトーホールド、レッグロック、足四の字固めでルードの足を狙い撃ちにする。
 コーナーに逃れたルードに蝶野はローキックの連打も、ラリアットで返したルードはコーナーへ昇る、だが蝶野はデットリードライブで叩き落すとダブルレッグロックで再び足攻め、上から覆いかぶさると腕十字で捕獲、だが逃れたルードはパイルドライバーで突き刺し蝶野の首に再びダメージを与えると、場外に逃れた蝶野に鉄柵攻撃、リングに戻して蝶野を戻して、コーナーから手刀、ラリアットを浴びせて腰クネポーズと自身のペースへと戻す。
 ルードはキャメルクラッチで捕獲し執拗に絞めあげるが、蝶野が強引に起き上がるとルードを肩車にした状態から後ろへと倒れてバックドロップのような形で叩きつけ、ドロップキックからコーナーへと昇ってダイビングシュルダーを発射も、ルードがかわして自爆となり、今度はルードがコーナーへと昇ってミサイルキックを発射すると、ジャンピングDDT、ネックブリーカーと蝶野を追い詰めにかかる。
 勝負に出たルードはコーナーからのダイビングダブルニーを狙うが、起き上がった蝶野は雪崩式ブレーンバスターで投げて、今度は自身がコーナーへ昇るも、ルードが起きて雪崩式ブレーンバスターで返し、ツームストーンパイルドライバーを狙うも、蝶野が切り返して逆に突き刺す。
 蝶野はルードをロープへ振ろうとしたが、逆に蝶野をロープへ振ったルードがスリーパーで捕獲、蝶野はロープを蹴って浴びせ倒して逃れるも、ルードはマットに蝶野の頭部を叩きつけ、エルボーの連打もショルダースルーを狙った際にケンカキックを連発、ショルダースルーからSTFで捕獲して勝負に出るも、ロープに近かったためロープブレークで逃れられてしまう。
 ルードは再びパイルドライバーで蝶野を突き刺すと、コーナーからのダイビングダブルニーを投下、これで勝負あったかに見えたが、タイガー服部レフェリーがルードの女性マネージャーとしてセコンドに着いていたメドゥーサに気を取られ、カウントに入るのが若干遅れてしまい、蝶野はカウント2でキックアウトし九死に一生を得る。
 勝機を逃したルードに蝶野がショルダースルーからSTFで捕獲、リング中央で決まるも、首の痛みのためか腕に力が入らず、ロープに逃れられてしまい、蝶野も勝機を逃してしまう。ルードは場外へ逃れるも、蝶野が強引にリングに戻して延髄斬りを発射、グラウンドコブラで丸め込むも、カウント2でキックアウトされてしまう。
 ルードは苦し紛れに蝶野を場外へ出すが、蝶野はコーナーへ素早く昇ると、コーナーに昇っている蝶野に気づいていないルードにダイビングショルダーを発射して3カウントを奪い、G1二連覇を達成、ジャイアント馬場に次ぐ二人目のNWA世界ヘビー級王者となり、新NWA会長の坂口によって蝶野の腰にベルトが巻かれた。
 
 蝶野はG1二連覇を達成することで「夏男」の異名も得たが、自分は第2回の立役者はルードであり、蝶野同様下馬評を覆して決勝へ進出することで、第2回でもG1は大きなインパクトを与えることが出来たと思っている。

 その後ルードはWCW提携路線に乗って新日本に何度も来日、一旦WWFへ移籍し再びWCWへ戻ったが、1999年4月20日に心臓麻痺で死去、40歳と若すぎる死であり、自分も忘れられないレスラーの一人として今でも記憶に残っている。
 
 NWA王者となった蝶野は9・23横浜アリーナでオースチン、11・23両国でスコット・スタイナー相手に防衛戦を行い、アメリカWCWでもルードやグレート・ムタ相手に防衛戦を行ったが、1993年1月4日、前年8・15神戸ワールド大会で長州を破ってIWGPヘビー級王者となっていたムタとのダブルタイトル戦で敗れ王座から転落、だが2月にムタもWCWマットでウインダムに敗れて王座を明け渡すも、同時期に副社長のビル・ワットが失脚して辞任する。7月にWCWに復帰したフレアーがNWA世界ヘビー級を奪還したが、WCWはNWAを脱退、新日本もならってNWAを脱退したが、NWAからの脱退もワットの失脚が大きく影響し、その時点でWCWは利用価値がもうなく切り捨てたのかもしれない、NWAは団体としては存続したが、マイナータイトルに格下げし、2013年に再び新日本と提携するも、NWA世界ヘビー級選手権はIWGPヘビー級選手権の前座として扱われ、かつての権威も失われてしまっていた。IWGP創設時はNWAはあくまで新日本のローカルタイトルであると強調していたが、立場はすっかり逆転してしまっていた。
(参考資料 新日本プロレスワールド 蝶野vsルード戦は新日本プロレスワールドで視聴できます)

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