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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

12月27日、金村キンタローはプロレスのリングから去っていった…

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12月27日、金村キンタローはプロレスのリングから去っていった…

12月27日 金村キンタロー引退興行「THE FINAL DIEHARD~最後のブリフラダンス~」 後楽園ホール 1350人満員


<アピール、コメントなどは週プロモバイルより>
◇第1試合◇
▼佐野直、翔太よ!男になれ!チャレンジマッチ/15分1本
大谷晋二郎 ○宮本和志(9分24秒 エビ固め)×佐野直 翔太
※ライガーボム


◇第2試合◇
▼ハイフライスタイル/15分1本
○Hi69 大石真翔 旭志織(7分51秒 片エビ固め)×円華 小幡優作 稲松三郎
※ストゥーカ・スプラッシュ


◇第3試合◇
▼FREEDOMS提供試合/15分1本
佐々木貴 マンモス佐々木 ○杉浦透(12分19秒 エビ固め)葛西純 ×GENTARO 吹本賢児
※スウィフトドライバー


◇第4試合◇
▼ストリートファイト8人タッグデスマッチ/30分1本
○高山善廣 雷電 保坂秀樹 奥田啓介(11分56秒 エビ固め)マグニチュード岸和田 空牙 ×バッファロー ザ・ボディガー


◇第5試合◇
▼バトルロイヤル/19選手参加
○新宿鮫(13分12秒 オーバー・ザ・トップロープ)×RG
※退場順=はやて、ハチミツ二郎、木村響子、吉田和則&柴田正人&寺尾利明&キッド、雷神矢口、ミス・モンゴル、佐藤恵一、那須晃太郎、守部宣孝、唯我、DJニラ、櫻井匠&榎本陽介、RG


◇第6試合◇
▼FMW10人タッグマッチ/30分1本
○ミスター雁之助 NOSAWA論外 怨霊 五所川原吾作 宮崎有妃(11分21秒 エビ固め)TAKAみちのく リッキー・フジ ×GOEMON 田中稔 TAJIRI


◇第7試合◇
▼金村キンタロー引退試合ハードコア6人タッグマッチ/60分1本
○関本大介 佐藤耕平 火野裕士(15分41秒 ジャーマン・スープレックス・ホールド)×金村キンタロー 田中将斗 黒田哲広


(試合終了後、金村と関本が抱き合う。そして引退セレモニーへ。各種記念品が贈呈されていき、選手代表で日高郁人、さらに山川竜司さんが登場。事前に金村が「花束がいらない」と言っており、山川さんは手ぶら。しかし、金村は顔をクシャクシャにして泣きださんばかりの表情に。山川さんも何やら封筒を渡し、金村とハグをかわした。


続いて“ミスター・デンジャー”松永光弘さんも登場して金村と握手。さらに「パワーホール」がかかると出てきたのは長州ではなくRGで場内大ブーイング。そのままテーマ曲が変わり、安生洋二さんが来場。花束を渡した。


記念撮影になると無念の欠場となった大仁田も松葉杖でリングインし参加。撮影後、去り際に大仁田と金村がロープを挟んで向き合う。)
大仁田「金村、きょうは休んですいませんでした。それと、すいません。金村選手よ。金村選手よ、いままで、いままで、いろんなことあったよな。だけど、ホントにホントに、ご苦労様でした」


(去っていく大仁田に)
金村「大仁田さん×2、ありがとうございました!(大仁田はノーマイクで「こんど焼肉おごるよ」と去った。)」


(次に味方リングアナによる経歴紹介。)
味方リングアナ「1990年12月20日、パイオニア戦志、愛知・半田市民ホール大会にて斎藤彰俊戦にて金村ゆきひろのリングネームでデビュー。同団体解散後、1991年に旗揚げされたW★INGに参加。ここからデスマッチ路線で頭角を現す。なかでも邪道、外道とのファイアーデスマッチでは、全身に大やけどを負い、6カ月の欠場に追い込まれるも、不屈の闘志で復帰。その後、大仁田率いるFMWに活動の場を移し盟友・松永光弘らとW★ING同盟を結成し、大仁田と抗争を展開。大仁田引退後はW★ING金村と改名。新生FMWにて冬木弘道や、ミスター雁之助らとチーム・ノーリスペクトを結成しハヤブサら正規軍と抗争。その後、リングネームを現在の金村キンタローと改名。
この時、ミスター雁之助、邪道、外道、BADBOY非道とのユニット、ブリーフ・ブラザーズが誕生。以降、金村の代名詞となるブリブラダンスが登場する。FMW倒産後は冬木弘道とともに冬木軍、WEWに参加。2003年には大日本プロレスの至宝・BJW認定デスマッチヘビー級王者となり、現在につながる次世代への橋渡しを務めた。金村の人生でこの時期がもっとも試合をしたと本人が振り返るように、新日本プロレス、ゼロワン、ハッスルなどインディーの枠を飛び出し、メジャー団体にも参戦。長州力、橋本真也、大谷晋二郎、獣神サンダー・ライガーら大物選手との対戦を実現させる。この時期、年間200試合。年間後楽園ホール出場回数、35回、年収1500万円以上。またこの時期には自身初となる東スポでの一面を飾ります。ちなみに記念すべき一面を飾った記事は、大谷晋二郎選手に3秒で負けた試合でした。WEW解散後はアパッチプロレス軍を旗揚げ。盟友・黒田哲広をはじめ佐々木貴、葛西純、マンモス佐々木らと時には闘い、時には組みながら切磋琢磨するかたわら、打倒メジャーを掲げ新日本プロレス・真壁刀義との激闘を繰り広げました。昨年2015年11月、引退を発表。1年間の引退ロードを走り抜け、今月25日アパッチプロレス軍解散興行では金本浩二を破り、WEWヘビー級王座最後のチャンピオンとなりました。(涙ながらに)爆弾男、理不尽小僧、数あるニックネームのなかで、あなたに一番似合うニックネームはただ一つだと思います! アイ・アム・プロレスラー、金村キンタロー選手! 27年間、お疲れ様でした!!(場内は大きな拍手)」


金村「自分はあんまり苦労したことないレスラーだったと思うんですよ。茨城社長のおかげでビクター・キニョネスと、20代前半でメインイベンターにさせてもらって、それで大仁田さんのFMWに移って、田中将斗、黒田哲広、ミスター雁之助らと闘えて、それが一番嬉しかったです。本当にいま、茨城さん、ビクター・キニョネス、大仁田さん、そして冬木さん、破壊王がいなかったらいまの僕はいません。とにかく僕の財産は田中将斗、黒田、こいつらと付き合いながら電流爆破やって、組んだりもしてますけど最高の親友です。26年間と1週間はあっという間でした。ただ、残る人間に一言言いたいのは、ボロボロになるから、つぶしの利くうちにやめとけよ(場内笑)。とくに若いやつら。わかった? 耕平も? いまのうちやぞ。ボロボロなるって。えーとにかくプロレスラーの仲間、裏方のスタッフ、マスコミの方々、いろいろ教えてくれた人たち、何よりも26年間と1週間応援してくれたファンの方々、本当にありがとうございました!(場内拍手)はい次!」


(ここで引退の10カウントゴング。なり終えると、味方アナが「五尺八寸五十八貫、伊勢湾の暴れん坊、アイ・アム・プロレスラー! 金村キンタロー!」とコールし、オフスプリング。田中、黒田がリングに上がり3人でブリブラダンス。その後、曲は冬木さんのテーマに変わり、金村は四方に礼して去っていった。)


【金村の話】「(花束を見て)いらんわ! トランスフォーマーもってこいってよ!…っていまのも入れといて。まあ、きつかったですわ、26年と1週間。いい形で終われましたね。悔いはないです、一切。(火野とは初対決だったが)アイツすごいね! チョップ! よかった、いい時期に引退できて。アイツのは食らいたくない。(これだけのメンバーが集まったが)嬉しいですね、正直。最後の最後で貴たちFREEDOMS、大日本、DDTが快く選手を貸してくれたんで、本当にもう大日本さまさま、DDTさまさま、FREEDOMSさまさまです。(このあとはどうやって生きていく?)知り合いがいるんで、ちょっと紹介してもらって。管理職になるんですけど、チンピラにはならないですよ。いま生活が充実してるんで。(27年間の思い出は)本当は、もうちょっと引退がずれるんやったらRIZINにミルコくるでしょ。そこで決着つけようかなと思った。いや、ホントに。一番思い出に残ってる試合は聞かないんですか?(なんですか?)橋本真也戦って言いたいんですけど、シングル2試合やって2回とも記憶がないんで(苦笑)。まあやっぱり(札幌の)炎武連夢戦ですね。常に田中将斗が僕の節目20周年、25周年、ずっとアイツ一緒なんですよね。いまでも月一回、数回会いますし、会う時はしょっちゅう会ってますから。(大きいけがや無茶も多かった)おそらく一番救急車で運ばれたレスラーだと思いますよ。(27年できたことについては?)産んでくれたお母さんに感謝ですね。(最初関本と対峙した気持ちは?)ぶっちゃけた話、途中で何年か離れたことあるんですけど、アイツとシングル一回しかやったことないんですよ。アイツが19歳ぐらいの時に。そこからは一回も負けてなかったんですよ。きょうやられましたけど。どうせ来年の頭復活するんで、その時復讐しましょう…わけない(笑)。(セレモニーに山川さんが)ああ、山川来た時はちょっと涙腺がゆるんだね。アイツの復帰のこととか、いろいろ思い出して。でもTAJIRIがいなくなるのがメチャメチャ寂しいですよね。このリングブーツは吾作にいきます。ニーパットも吾作、ジーパンも吾作。カバン空っぽにして帰りますよ。26年と1週間、マスコミの方々本当にありがとうございました。帰らせてもらっていいですか? ありがとうございました。歩いてリングを降りるという夢を実現できました(と去っていく)」


 金村の引退興行が開催されたが、当初参戦予定だった大仁田厚が23日のFMW高松大会で右腸骨骨折で全治2ヶ月の重傷を負い、それでも25日新木場で開催されたアパッチプロレス軍解散興行には強行出場するも、ダメージが大きいため欠場となった。
 大仁田は31日新木場で行われる翔太AID、1月2日の全日本プロレス後楽園大会には出場するそうだが、今までどんな負傷をしてきても大仁田は強行出場してきたが、さすがに年齢というものを痛感しているのかもしれない。


 
 引退試合を向かえた金村は腐れ縁の相棒である黒田、FMW時代の好敵手である田中と組み、大日本の関本、ZERO1の耕平、フリーの火野と対戦。金村組は南側通路に登場しブリフラダンスを披露して入場した。
 先発を買って出た金村は関本と対戦、関本とは正面から肉弾戦を展開すれば、交代した火野には黒田との合体ショルダー、合体エルボードロップと合体技で攻め込み、場外戦でも耕平を客席に叩きつけるなどしてエンジン全開で暴れまわる。
 しかし火野と逆水平の打ち合いとなるとパワーの差で金村は失速、関本もハンマーを浴びせ、場外戦でも耕平がローキックやスリーパーで絞めあげるなど金村を痛めつけるも、黒田が耕平に哲ちゃんカッター、田中が関本にラリアットを決めるなどして試合を盛り返す。
 金村はイス攻撃で火野の動きを止めにかかるが、逆に捕まって関本組のトレイン攻撃の餌食に遭うと、必死で粘る金村に関本がラリアット、耕平がパイルドライバー、火野が筋肉スプラッシュと畳み掛け、それでも必死でキックアウトする金村に関本がラリアットからぶっこ抜きジャーマンを決め3カウントを奪い、金村を介錯した。


試合後はW☆ING時代からの兄貴分である松永光弘、大日本では好敵手であり相棒だった山川、ハッスルでは様々なやりとりをした安生、今大会は無念の欠場となった大仁田も駆けつけ金村の労をねぎらい、味方リングアナが金村の経歴を紹介した後で金村が挨拶、引退の10カウントで参加選手全員がブリフラダンスを踊った後で故・冬木弘道のテーマ曲である「SHOOT IT!」で金村はリングを去っていった。


 W★ING時代の金村キンタロー 自分が始めて見たインディー団体はW☆INGだった、1992年12月の津市体育館、先々週はUインター、先週は全日本と立て続けに観戦して、その次がW☆ING、Uインターと全日本は満員だったがW☆INGは空席だらけ、たくさんの観衆の中で見るのは当たり前だと思っていた自分は恵まれていたのかなと思ってしまった、その中でメインを張っていたのは金村でポーゴと組んでキム・ドク、フレディ・クルーガー組と有刺鉄線デスマッチで対戦、有刺鉄線で額を切り刻まれた金村は場外へと放り込まれたが、最前列で見ていた自分は目の前に倒れている金村を写真でパチリと撮ってから腰を抜かすように驚いてしまった、当時は大仁田厚のFMWが全盛の時代だったがデスマッチの凄さを大仁田ではなく金村から知ることになった。


新生FMW時代の金村キンタロー  その後金村の試合をIWA JAPAN、FMW、、全日本、ZERO1、大日本、先述のWNCなどで見てきたが、FMWからブリフラダンスを踊りだして定番となり、1999年5月2日の全日本プロレス東京ドーム大会でもブリフラダンスを踊って大観衆を沸かせた、また新日本プロレス参戦時では金村らの存在が新日本では否定されていた影響なのか新日本ファンからはブーイングを浴びせられるも、金村のアピールぶりは真壁刀義などが大きな影響を受け、金村らアパッチプロレス軍と抗争していくことで現在の真壁を作り上げていった。


 だがその金村も大日本プロレスでのセクハラ事件で大日本だけでなく金村自身もレスラーとしての信用を大きく落としてしまった、自分もいろんなバッシングを受けブログのあり方を見直すきっかけとなったが、金村自身も大舞台に立つ機会が減り、自分も金村の試合を見る機会もなくなった。またプロレス界全体もコンプライアンスというものを考えさせられるきっかけになった事件でもあった。


 そして2013年12月にWNC津大会で金村の試合を生で見ることになったが、いつ以来だったのかわからない、久しぶりに見た金村の姿は齢をとったかなという印象だった、それでもメインやボーナストラックでのバトルロイヤルはブリフラダンスを含めて大いに盛り上げていったが、インディーも金村の時代ではなくなっていくんだなと感じさせた。


 
 いろんな意味でお騒がせのレスラーだった金村だったが、最後にこれだけの選手達が集まり、わだかまりがあったFREEDOMS、自らの不祥事で締め出された大日本プロレスからも選手が参戦して金村の引退を見送った、今頃天国で冬木弘道は「生きているうちに、これだけの引退興行をしてもらって、オマエは幸せなヤツだ!」と眺めているのかもしれない。


 最後に金村キンタロー選手、ご苦労さまでした!

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