泥仕合に決着、猪木と和解もIGFは事実上終焉…
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泥仕合に決着、猪木と和解もIGFは事実上終焉…
この度、私猪木寛至と、イノキ・ゲノム・フェデレーション株式会社らとの間で行われていた裁判において、和解が成立しました。その結果、同社は、今後、私と一切関わることなく、経営や事業・興行を行うこととなり、(続く) pic.twitter.com/SSQ0BGp0fF
— アントニオ猪木 (@Inoki_Kanji) 2018年3月22日
(続き)私は保有していたイノキ・ゲノム・フェデレーション株式会社の株式の全てを第三者に対して売却しました。これに伴い、同社は商号を株式会社アシストに変更しますが、この新会社は私とは一切関係ありませんので、ご承知おきください。 pic.twitter.com/4dJaiBmaHJ
— アントニオ猪木 (@Inoki_Kanji) 2018年3月22日
アントニオ猪木が公式見解は発表し、IGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)と和解が成立したことを報告した。今後、猪木は一切IGFとは係わり合いを持たず、猪木が保有していたIGF株も第三者(湯川剛氏)?に売却、IGFは今後株式会社名を変えることで決着を着いたという。
和解は妥当な線、泥仕合になってしまえば、どっちも正しいとは言えず、白黒つけるまで長引かせても得もない。和解に至るまでどこまで妥協し合えるか、双方とも妥協点を見出し、やっと和解となったようだ。
猪木が完全に手を引き、IGFも社名を変えるということは、事実上IGFは終わったと見ていいだろう。IGFは猪木がいて成り立ち、試合をする選手より引退した猪木を主役に押し出していた団体、その猪木がいない以上、IGFを名乗る意味もなかった。
IGFの終わり方も、こうなることを予見していたような終わり方だった。内紛の原因となった猪木の側近達の権力争いは新日本プロレス時代から続いていたこと、それはIGFになっても続いており、挙句の果てには分裂…ある意味それも猪木らしい終わり方だったのかもしれない。
IGFの終焉はプロレス界全体に波及するわけではなく、広がったプロレス界の中で小さな出来事に過ぎない、またマット界も時代と共にあり方も変わったが、アントニオ猪木という存在だけは時代は変わろうとも、猪木自身は変わらないし、時代は進もうとも猪木は変わるつもりはない。
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